
福岡に行くたび、必ず足を運ぶ鮨屋さんがあります。いや、正確に言えば順序が逆で、このお店で握ってもらうためだけに福岡へ飛んだことも一度や二度ではありません。それくらい、私はこのお店に惚れ込んでいます。もう何度目の訪問になるでしょうか。写真の奥で握っているのが、そのお店の大将です。
福岡には近年、若手の実力派鮨店が次々と生まれていますが、こちらもそのうちの一軒。食べログの「Tabelog 100(西日本・鮨部門)」にも選ばれている評価の高いお店で、警固の中心地にありながらマンションの一階の奥まった場所にひっそりと佇む、まさに隠れ家といった趣です。
そして驚くのが、大将の経歴です。もともとは洋食店でシェフの背中を見て働いていたそうですが、そこから正反対の和食の世界に強く惹かれ、福岡の老舗「吉冨寿し」で修業。そしてなんと24歳という若さで独立し、この店を構えました。銀座の名店で長く腕を磨いてから独立する職人が多いなか、24歳で自分の店を持つというのは並大抵の覚悟ではありません。その若さで、これほどの完成度の鮨を握る、それがこのお店に惚れ込んだ、そもそものきっかけでした。
握りを見て、まず目を引くのがシャリの色。ほんのり赤みを帯びているのがわかるでしょうか。これは酒粕から作る粕酢と赤酢をブレンドして使っているためで、この赤みこそ江戸前の伝統を受け継ぐシャリの証です。見た目はやや色黒でパンチがありそうに見えるのに、口に含むと酸味はあくまで穏やかで、まろやか。硬めに握られているのにお米の甘みがしっかり感じられ、ネタとの一体感が見事です。聞けばお酢は名店御用達「ヨコ井の與兵衛」に琥珀をブレンドしたものだそう。酢のブレンドは多ければいいわけではなく、少なくて美味しいのが一番難しい。そこに大将のセンスが表れています。この日の中トロは壱岐産で、とろけるようなサシに刷毛でそっと塗られた醤油がまた絶妙でした。

前菜は一皿に見えて、実は一品一品にとんでもなく手が込んでいます。九州の海が育てた三種の魚、脂ののったアジ、皮目を香ばしく炙ったカツオ、そして旬のいわし。それぞれ火入れも下ごしらえもまったく違い、生のまま、炙り、〆と、大将がひとつずつ最適な仕立てを見極めています。この時期の九州はちょうど青魚が旬。素材の良さに手間を重ねた一皿で、一品ずつに惜しみない仕事が伝わってきます。

魚はすべて九州の近海もの。地の食材を選び抜いて使うこだわりで、九州の海の豊かさをそのまま味わっているようです。この金目鯛も、赤い皮目を活かした美しい一貫。そして実は、私がこのお店でいちばん好きなのがマグロ。赤酢のまろやかなシャリと、旨みの濃いマグロの相性が抜群で、これを目当てに通っていると言っても過言ではありません。
カウンター席の醍醐味は、この手元を間近で見られること。この日のウニは、福岡産の紫うに。夏が旬で、すっきりとした上品な甘みが身上です。繊細な生ウニを、崩さないようそっと掴んでシャリにのせる所作は、何度見ても惚れ惚れします。実はこの動画、私が何も言わずにカメラを向けていたら、大将がこちらの意図を察してか、ちゃんと”掴み”の見せ場を作るように付き合ってくれたもの。こちらが勝手にボケ半分で撮っていただけなのに、忙しい握りの合間にさりげなく応えてくれる。この察しの良さと優しさに、もう感謝しかありません。腕の確かさだけでなく、こういうお茶目で温かい人柄こそ、このお店の何よりの魅力です。

ねっとりと甘い一貫。素材そのものの旨みを、丁寧な仕事でそっと引き立てています。

マグロと並んで毎回楽しみにしているのが、このアジの握りです。先ほど前菜でも登場したアジですが、握りではさらにひと手間かけた仕立てで出てきます。とにかくアジが大好きで、このお店のアジは格別。アジの旬はちょうど今、5月から7月にかけての初夏。しかも九州の瀬付きアジは、脂がのって金色に輝くことから「金アジ」と呼ばれるほどで、この時期の九州のアジはまさに最高です。その旬のアジを、大将はさらにひと手間かけて仕上げます。聞けば、塩で脱水してから3日間寝かせているのだそう。青魚は鮮度がすべてと思い込んでいましたが、あえて時間をかけて水分を抜くことで、脂の旨みがぎゅっと凝縮され、驚くほど深い味わいに変わっています。薬味のネギと生姜が、その熟成した旨みをさらに引き立てる。「新鮮なだけが正解じゃない」旬の素材に手間と時間を重ねて生まれる旨みに、何度食べても唸ってしまいます。

こちらも初夏から真夏にかけてが旬。脂がのって、口の中でとろけるようです。たっぷりのネギと生姜が青魚の旨みを引き立て、その扱いの巧みさが光る一貫でした。
一貫ごとに、火入れや〆加減、熟成の度合いを繊細に変えていて、コースが進むほどに大将の仕事の丁寧さが伝わってきます。そして何より、大将のお人柄。いつもニコニコと愛嬌たっぷりに接客してくださって、カウンター越しの距離が本当に近い。腕は一流なのにまったく気取りがなく、居心地の良さは格別です。
個人的に嬉しいのが、予約の柔軟さ。多くの人気鮨店が「12時一斉スタート」のように時間を固定するなか、こちらはこちらの都合に合わせて柔軟に対応してくださいます。一斉スタートではないぶん、一人ひとりのペースを大将がちゃんと見てくれていて、そんなところにも気遣いを感じます。この“お客さんをよく見ている”感じが、通いたくなる大きな理由です。
そして鮨の醍醐味は、なんといっても季節ごとにネタが移り変わること。今の時期はアジやいわしといった夏の光り物が最高ですが、秋になれば脂の乗った戻り鰹や新イカ、冬には寒鰤や白子、春には桜鯛や貝類……と、月を追うごとにカウンターの上の景色ががらりと変わります。だからこそ、同じお店でも毎月通う楽しみがある。旬を知り尽くした大将が、その季節にいちばん旨いものを、いちばん旨い仕立てで出してくれる。これはもう、通わない理由がありません。

以前プロフェッショナルな鮨職人を訪れたときにも感じましたが、日本の鮨職人という仕事は、素材への探究心、緻密な技術、そしてお客さんへの気配りが一体となった総合芸術だと思います。しかも今回の大将のように、若くして独立し自分の店を背負って立つ職人が地方から次々と生まれている。東京の名店だけでなく、福岡のような街にこれだけの実力店があるというのは、日本の食文化の層の厚さそのものです。
価格が高騰し続ける東京の鮨と比べても、この内容でこの価格は本当に良心的。「価格だけが上がっていく東京の鮨にはもう戻れない」というレビューにも、深く頷いてしまいます。実は今回も、大好きなマグロとアジはそれぞれおかわりしてしまいました。笑 次に福岡へ行くときも、きっと同じようにおかわりをお願いすると思いますし、その頃には季節が変わって、また新しい旬のネタに出会えるはず。「この鮨のために福岡へ行く」そんな贅沢を、これからも続けていきたいと思います。ご馳走さまでした!